上勝の農泊施設
出展:「日本で最も美しい村連合」/上勝町 https://utsukushii-mura.jp/map/kamikatsu/
秘境のまち 上勝
コンビニは無く、町に信号は一つだけ。急傾斜の山々と棚田の風景は江戸時代からほぼ変わらず、まさに秘境と呼べる地域。近年脚光を浴びるようになったのはこの町のゼロウェイスト宣言、つまり、ゴミゼロ宣言によるもので、現状8割のゴミを再利用することに成功している。町はIターンの若者が集い、中村拓志氏設計のゼロウェイストセンターが出来てからは一層、世界各国からの視察が絶えない。その視察の拠点となる簡易宿泊施設の改修計画を行うこととなった。
灼熱の小屋
初めて施設を訪れた際に、「本当にここに宿泊するの?」と驚いた。
荒れた農作業ハウスの一角にプレハブ小屋があり、ハウスのポリカ屋根を通して降り注ぐ日光は逃げ場がなく、灼熱の空間となっていた。しかし、何故かネット上の口コミがすこぶる高い。謎は深まるばかりだが、ひとまず、現地調査を兼ねて一泊させていただくことになった。
北側の谷底に流れるワサビ沢
秘境の魅力と設計の難しさ
丘陵の頂に位置した施設は、南側にはすだち畑が広がり、北側の崖下には小川が流れている。谷底に自生する山葵と茗荷は取り放題。真夏でもかじかむほどに冷たい清流で、あたり一帯冷たい澄んだ空気が流れていた。鶏を絞めて捌いたり、薪割をして焚いた風呂につかり、流れ星を数えていると、昨日までの都会の喧騒が嘘のように感じられる。実際プレハブ小屋の中は綺麗だし、標高が高いので、真夏でも夜は涼しい。
上勝で過ごすうちに、この施設が愛されている理由がわかったと同時に、この場所に「新しく設計」する難しさを覚えた。
前オーナーの岸さん 出展:「日本で最も美しい村連合」/上勝町 https://utsukushii-mura.jp/map/kamikatsu/
今回の計画は、農泊施設「山挨(やまあい)」を営んでいた前オーナーが高齢となり、旅行業を営む陳さんへ引き継ぐことがきっかけだった。
インバウンドの外国人客をイメージしたが、遠い国から視察に来る方々は、この町に強い敬意を抱いていることが、地元の人たちの反応から伺えた。
それに、山挨は町に数少ない食堂でもあり、町のお年寄りや子供たちの大切な居場所だった。だからこそ、町の人たちは陳さんに、何としてでも継続してほしいと期待していた。
ESDツーリズム中の陳さん
陳さんからは「皆さん、SDGsへの関心が強く、そういったテーマを設計に盛り込みたい」というリクエストを頂いた。ただ、都会で聞くこの言葉は、ときどきひとり歩きしていて妙に商業的な言い回しに感じてしまうことも多かった。
一方で、上勝の人々は誰も「地球を守ろう」なんて大げさなことは言わず、身近な環境を観察しながら、使えるものは何でも使って心地いい暮らしを実現している。だからこそ、世界中からこの秘境に旅人が訪れる。予算が非常に厳しい案件だったが、コストは言い訳できないな、、と考えながら、プレハブの客室で心地よく眠った。
せっかく農泊施設なので、そこに滞在して生活しながら、この場所にどんな建築をつくったらいいかをじっくり考えることにした。
椎茸ハウスの続きの物語
「お父さんが元気やったころ、ここでい~っぱい椎茸を育てとったんよぉ~。」
前オーナーのおばあちゃんが懐かしそうに語っていた。
元々ポリカの椎茸小屋だった施設なので、とにかく熱いし寒い。ただ、ポリカの壁をじっと観察していると、春は桜色 夏は濃いすだちの色、雪の日は真っ白といった具合で、一年でぼんやり空間全体の色が変わるのが綺麗だと思った。
壁を頑丈にしっかり作りかえれば、温度は安定するかもしれないが、お金もかかるし上勝の豊かな環境とは切り離れてしまう。そこで、外壁の素材は変えずに、客室だけしっかりと断熱することにした。
夏は暑すぎるから、外によしずをかけて涼を採り、ひょうたんやヘチマを育てることにした。せっかく北側の崖下はとっても涼しいので、換気の吸気口を谷底まで下ろして、沢からの空気の流れを作った。椎茸のかたちの椅子から、冷たい空気が流れるクールチューブの仕組みだ。
古着の断熱
ゼロウェイストセンターには、13種45分類に分別されてたゴミが並んでおり、興味深く拝見させていただいた。その中で、たくさんの古着が目についた。リユースイベントの余りが集められていて、最後は固形燃料に使用されるという。限られたコストの中で、無料の素材を手に入れた。これを客室の断熱材に使用すれば、材料費はタダである。大部分がババシャツとかだったので、鯉のぼりに詰め込んだり、着物の帯でくるんで間柱に詰め込んでいくことにした。
上勝杉の端材ブロック
上勝は元々林業が盛んだったこともあり、急斜面の杉の山林が広がっている。
「凄い景色だなぁ」と感激する横で、地元の木こりの方が「何も採れない放置林や」と、溜息のように呟いたのが印象的だった。もし林業が豊かに成り立っていれば、美しく見える風景かもしれないし、「美」の概念なんて案外そんな単純なことで左右されるのかもしれない。
「ぜひとも地域の木材を使いたい」という話になったが、当然費用も上がる。陳さんからの「節がある端材では、美しいものは作れないんですか?」という素直な質問に、何とかして答えたいと感じ、角材を積み上げて、隙間から様々な古着がのぞいているデザインを考えた。
工務店の明徳さんに、近くの現場で余った端材を何か月もかけて集めてもらうことにした。
前例がなく、図面通りに進みにくい計画は、通常施工者さんにとても迷惑をかけてしまう。しかし、幸運なことに、最後まで面白がって付き合ってもらえた。
他の現場で手に入りやすい三寸・三五角サイズに寸法を調整したり、近所の方々から沢山の着物の帯を頂いたことで、仕上を変えたりもした。だんだん現場から、「こうした方が面白い」とか「こうしたら子供が喜ぶ」という提案が出てきて、狙っていないものが出来上がっていくことに皆で夢中になった。
客室:壁に空いた穴から断熱材の鯉のぼりをのぞむ
空間に宿る命
今回の計画では、手に入る古着や端材の状況を十分に調べて設計したつもりだった。しかし、近所の方から綺麗な帯や昔の鯉のぼりを頂いたり、新たな端材が貰えたり、想定外のことが沢山あって、結局手探りで現場を進めていった。もちろん、現場で変更のない設計図を作る重要さは理解している。しかし、もらった着物や端材を捨てる勇気は無かったし、現場からは楽しいアイデアがどんどん出てきた。
このように進んだのは、単なる幸運ではなく、この町の価値観に依る気がする。
茶摘みの時期は皆一斉に出払うので、当然大工もいなくなり工事は止まる。冬に急勾配の道が凍結すれば工事が止まる。予定通りに行かないことだらけだが、いい加減に生きているのではなく、日々移り変わる自然環境に向かい合い真剣に生きている。
あらゆる物事をシミュレーションし、最善を検証することが設計の重要な要素の一つと考えていたが、この町では、もっと地に足をつけて物事を考えた方が良いと感じた。人間が、あらゆるものをコントロールできると考えている方が傲慢かもしれない。地鎮祭で、土地の神様に赦しを請うように、本来日本人は、取り巻く環境に対し、あらゆる神を想像し対話してきた。
大正時代の鯉のぼりの金太郎に鋏を入れる際に、誰が言い出すこともなく皆で「畏れ」を抱き、そういう素材は積極的に生かす空間を考えていった。
竣工後、最後に出た端材を子供たちが積み上げて、そして壁に繋げて遊んでいた。それを見た陳さんが、予約のないときは地元の子供たちの遊び場に開放することに決めた。
全てが想定外であり、この町では、空間が勝手に成長していくような感覚を強く感じた。